阿佐ヶ谷
2019年12月01日
こんにちは~
今年も残り30日となりましたね。
1年が過ぎるのも年々と早く感じてしまい
すこし寂しい気持ちになります(+o+)
さて、話は変わりますが、前回の高円寺の話からで
本日は阿佐ヶ谷をフューチャーしようと思います。
まず、阿佐ヶ谷の由来は、、、、
「阿佐谷パールセンター商店街」のホームページによると、
南北朝時代に「あさかや殿」という土豪がおり、
その頃より一帯が「あさがや」と呼ばれていたようです。
江戸時代には「阿佐ヶ谷村」となり、明治時代に行われた町村統合で
「杉並村」となるまで続きました。
大正末期に始まり戦前に全盛を迎えた前出の「阿佐ヶ谷文士村」ですが、
その中心的人物は、1927年から荻窪に住み『荻窪風土記』を著した井伏鱒二。
阿佐ヶ谷では、界隈に住む文士たちと「阿佐ヶ谷会」なる会合を月に一度催し、
将棋をさし、酒を呑むような交流がありました。また、太宰治、川端康成などの
名だたる作家も阿佐ヶ谷を闊歩していました。
街の歴史
駅を挟んで南北に伸びるけやき並木、
阿佐谷パールセンター商店街をはじめとする活気ある商店街、
通好みの企画で愛好者を引きつける映画館や小劇場。
阿佐ヶ谷の街は、このように多くの「顔」を持ち合わせています。
さらに、「阿佐ヶ谷文士村」と呼ばれた文化サークルがかつて存在するなど、
どことなく落ち着いた文化的な空気が流れています。
「阿佐ヶ谷文士村」は、1922年のJR中央線の阿佐ケ谷駅開業や、
その翌年に起こった関東大震災による人口流入の影響で、
多くの詩人や小説家などがこの界隈に暮らし始めたのがきっかけで形成されました。
彼らが残した知的な香りが、街角やイベントなど、あちらこちらに受け継がれています。
ふむふむ、( ..)φメモメモ
考えていたのとは違い、町の地形からではなかったんですね。
勉強になりました。
知らない知識を吸収すると楽しいですね!
では、また!